医者の「軽症」と一般人の「軽症」
感染しても8割は軽症か、無症状とも言われる新型コロナウイルス(covid19)でございますが、
一口に「軽症」と言っても様々なようで、
39度の発熱が続こうとも、眠れないほどの咳に苦しめられようとも、
<人工呼吸器が必要なレベルでなければ軽症>
なんていうブラックジョークのような話もあるようでございます。
なんて話を聞きますと、思い出すのはワタクシの頭頂部が当社比4倍は黒々としていたあの頃。
<尿路結石>
という、<世界三大激痛>にも数えられる、あの激痛に襲われたワタクシ。
タクシーでなんとか病院にたどり着いたのは良いものの、
<救急車で運ばれたわけではない>
という素敵な理由で、外来受診待ち。
待合室で放置。
が、しかし。分刻みで増強する痛み。
じっと座ってなどいられません。
痛い。とても痛い。(その時は)原因不明だから、何が起きているのか分からない。
ほんとに痛い。うろうろ歩く。でも痛い。もう泣きそう。何が起きているの?おれのお腹。
死ぬ。まじで死ぬ。こんなので死ぬなんて言ったら、本当に重病の人に申し訳ないけど、これは死ぬ。
たぶん重症。これは重症。競馬は重賞。手紙は住所。重症、重症、イエイ。
なんてラップ踏んでる余裕もそのうちなくなり、痛い、痛い、痛い。とにかく痛い。
ねぇ、看護師さん、お願い助けて、としまいには泣きつく始末。
ベッドに案内されるも、寝転がってなんていられない。まじ泣き。30歳を過ぎてホントに涙。とにかく痛い。
なのに放置。いつまでも放置。1分が1時間に感じられるって、あれホント。まじで死ぬ。
ほんと勘弁。ぬおおおおあああえヴぁさkふぁえwjふぇ、d:」えあwbがs
と、枕に顔を押し当てて絶叫したところで、ようやくセンセー登場。
「はい、あおじろうさん、エコー撮りましょうね」
「その感じだと、石だね~」
超軽い。センセー、超軽い。
お腹にエコーをぴたっとハ○ス。なんてジョークは今だから言える。
もはやグロッキーのワタクシに腹部エコーを当てるセンセー様。
「うん。腎臓腫れてますね~。石ですね~。注射打ちましょうか。筋肉に打つから痛いけど大丈夫?」
センセー、注射の痛みが今更なんだというのでしょう。
「はい、じゃあ打ちますよ~」
そして、終生忘れないであろう名言が飛び出すのです。
「大丈夫。石で死んだ人はいないから」
お医者様にとって、<重症>とは、<命の危険が切迫しているかどうか>なんだろうな、と
そんなことを思い出しながら感じる今日この頃。
お腹痛くなって胃腸科行っても、
センセー様「ここ痛いですか~?」
わたくし「痛いです」
センセー様「うん。大丈夫ですね。整腸剤出しときますね」
いや、おい、痛いって言ったよね?なのに整腸剤ですか?検査なしですか?
センセー様「ガスが溜まってるから、消化にいいもの食べてくださいね。次の方~」
なんてのは日常茶飯事で、
きっとこんなのは、軽症の部類にも入らないんでしょうね~
ゆえに、新型コロナウイルスでも、<37度前後の微熱が続いて心配>なんてのは、もしかしたら「無症状」の部類に入れられるのかも…
な~んてことを考えますと、医者の感覚と一般人の感覚はズレているんだなあ、とつくづく思いますが、
これはケアマネ業務でも言えることで、
利用者さん「腰が痛くて、手が届かなくて、もう大変なのよ」
ケアマネ「そうですか~。でも、普段はできてますよね。ヘルパーいらないですよね」
とか、
利用者さん「最近、外歩きが不安で…」
ケアマネ「歩かないと余計だめになっちゃいますよ」
な~んて言ってしまうと、心に寄り添えていないわけで、
慣れって怖いな。と。
ガンでステージ4なんて聞いたら、「はい、ターミナルげっと~」とか、
そういうのも一般の感覚とはズレてるので、注意が必要だな、と、
しみじみ思ったり、思わなかったり。
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