こういう時こそ「想像力」
世の中には「馬脚を現す」という言葉がございますが、
<非常時>には、平常時には隠されていた人間の本性と申しますか、
その人の性質みたいなものがむき出しになる気がいたします。
欠点が、より強調されて見えるようになる、とでも申しましょうか。
普段は格好いいことを言っていた人が、
非常時になると攻撃的になったり、感情的になったり、
責任感のあるように見えた人が、
非常時になると失敗を他人のせいにしたり、
自分一人真っ先に逃げ出したり…。
例を挙げたらキリがないくらいですが、
気を付けなきゃいけないな、と思うのは、
<非常時だからこそ、普段よりもなお、言葉に気を付ける>ということ。
何気なく発した一言が、
他の誰かを傷つけているかもしれない。
Twitterなどでは、「10万円を貰ったら」なんて無邪気なことを公表してる人がいますが、
そういう方々は、
<使い道を考えられる幸せ>
が欠落している気がいたします。
なんのための10万円給付なのでしょう。
<今、必死な人がいる>
そのことを想像できれば、「10万円貰ったら何に使おう」と考えられる自分が、
<いかに恵まれた立場にいるか>が理解できるはず。
必死な人は見ていないから良い?
必死な人の前では言わないから良い?
本当にそうでしょうか。
身内同士の会話なら良い、というのであれば、身内同士の会話でのみすれば良い。
なぜそれを、インターネットを通じて全世界に公表するのでしょうか。
読んだほうが悪い。そう言うのでしょうか。
言葉を発信するには、普段から「想像力」が大切ですが、
非常時には、より「想像力を高める」ことが大切なのではないかと思います。
自分が何かを発言することで、傷つく人はいないか。
自分の一言は、誰かに対するハラスメントとなっていないか。
犯罪被害者や被災者、マイノリティに対して配慮の欠けるものとなっていないか。
「コロナに負けるな」なんてのも、想像力に欠けた発言なのではないでしょうか。
自分で自分に言い聞かせるのは良いと思うのです。
「こんなところで死んでたまるか!」「生き延びてやる!」
でも、言わないですよね。ターミナルの利用者さんに、「病気に負けるな!」なんて。
亡くなった人は、病気に負けたわけじゃないですよね。勝ち負けじゃないですよね。
ケアマネジャーならば、相談援助職ならば、
忘れてはいけない「共感力」。
その共感力の根底にあるものも、「想像力」な気がします。
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