ケアマネなんて儲からん

「現役並み」という言葉を聞くたびにブルーになる低所得のケアマネジャーが日々の苦悩?をつづるブログです

ケアマネの質は本当に悪いのか

嫌いな言葉の一つに「初心者なので」というものがあります。
「新人なので」というのも同じです。


そういうことを言う相手には、つい言いたくなります。



だから何だ、と。



プロ野球の試合を見に行ったら、先発投手がストライクを一球も取れずにフォアボールを連発し、10点も取られて降板した。


そのピッチャーが「新人なので」、
と言ったらファンはどう思うでしょうか。




壁の修理を頼んだら、セメントで固めた直後にヒビが入った。


クレームと入れたところ、「すいません。初心者なので」


と言われたらどう思うでしょうか。




それにもかかわらず、特に営業職の人が、自分を売り出したいのか、
春になるとよく聞かれます。


「新卒なので」
「新人なので」
「初心者なので」


だから何だ、と。




新人ならば、初心者ならば、安くなるのか。
新人ならば、初心者ならば、失敗してもいいのか。




ケアマネジャーでも同じです。


新人ならば、初心者ならば、ケアプランがおかしくても良いのか。
新人ならば、初心者ならば、アセスメントに見落としがあっても良いのか。


答えはどちらも「×」なはずです。




新人であろうとなかろうと、初心者であろうとなかろうと、
客は、利用者は、お金を払っている以上、常に最善のサービスを求めているはずです。


仮に初心者であることを売りにしたいなら、


「初めてですが、精いっぱいやらせていただきます」
「この仕事は初めてですが、誰にも負けないサービスをしてみせます」


とでも言うべきです。


そうではなく、最初から初心者であること、新人であることを「言い訳」にするのは卑怯です。
金を出している相手に大変失礼です。




同じことが、言えないでしょうか。


「質が悪い」


という言葉に。




ケアマネの質が悪い、質が悪い、と言われるたびに思うのが、
なぜそれを言っているのが自分たちケアマネジャーなのか、ということです。


他所から言われるなら分かります。
しかし、ケアマネの質が悪い、という場合、多くは他所よりも中から聞こえてきます。




なぜ自分たちで自分たちを貶めているのか




もし自身の質の悪さを認めているなら、
質の悪いサービスしかできていないと思うなら、
すぐにサービス提供の現場から去るべきです。


もちろん、完璧な人間はいません。
間違いをしない人もいない。


ですから、失敗はあってもいい。
でもその失敗は、単純ミスである場合を除いて、
「最善を尽くしたが避けられなかった失敗」でのみあるべきです。




最初から失敗を想定してはいけない。
サービス業は、常に最善かつ最良のものであるべきです。
そうでないと相手に失礼だから。




己のスキルを磨くなんてのは、当たり前のことであって、
質が悪いから磨くんじゃない。
もっと良くなりたいから磨くのです。




そんな簡単なことも分からずに「質」を叫ぶ連中には、
本当に吐き気がいたします。




ケアマネの質は本当に悪いのでしょうか。
質の良し悪しは誰が決めるのでしょうか。


質の良し悪しは、ケアマネ全体の問題なのでしょうか。




主マネ問題を思うたびに、そんなことを考える今日この頃です。

主任ケアマネ受講要件のおかしさ

中小の居宅介護支援事業所は、現在、管理者を主任介護支援専門員に限る、とする、
いわゆる「管理者主マネ問題」に振り回されています。


この要件は、主マネを配置できていない事業所が多いことから、先日「3年間の猶予期間延長」が決まりましたが、延長されただけで撤回されたわけではありません。


この「管理者主マネ問題」。何が問題かといいますと、都道府県によって程度の差はあれども、おおむね、主任ケアマネジャーの講習を受けるためには、


・ケアマネジャーを<常勤専従で><5年間>経験する必要がある


にもかかわらず、


・2018年に「管理者=主マネ限定」が決定されてから、猶予期間が<3年>しかなかった


ことが大きな問題となりました。


主マネになるのに5年かかるのに、猶予期間は3年。
主マネが一人しかいない事業所で、他のケアマネの経験年数が2年未満だとしたら、
その主マネがいなくなったらどうなるのか。


小学生でも分かる計算を、制度設計者はできなかったところに批判が集まりました。


おそらく制度設計者あるいは制度提言者としては、3年あれば半分以上が主任になるだろう、とでも思ったのかもしれませんが、ただでさえ5年ごとの更新が義務付けられているケアマネジャー。


それにプラスして主任ケアマネジャーの研修を受講しなければならないなど、どこの誰が好き好んでいくと思ったのでしょうか。


金集め以外に考えることは無いのか、と情けなくなりますが、もっと情けないのは、「管理者=主マネ」の旗振り役が、我らが介護支援専門員協会であるということ。


<質の向上>を合言葉に、一兵卒のケアマネから搾取することしか考えていないのではないかと疑いたくなるレベルです。


なぜ、管理者が主任ケアマネジャーである必要があるのでしょうか。
主任ケアマネジャーの講習は、<管理業務>を身に付けるものとなっているのでしょうか。
ケアマネジメントスキルが高ければ、管理スキルも高いのでしょうか。


現在の主マネ講習では、ケアマネジメントスキルの向上に主眼が置かれており、管理スキルについてはほとんど触れられることがありません。


それなのに、主マネであることを求める。


介護支援専門員の受験資格を国家資格保有者に限るとしたことで、受験者数は大幅に減少し、合格者もそれに伴って大幅に少なくなりました。


介護支援専門員、すなわちケアマネジャーは、<介護支援専門員研修受講試験>に合格した後、<介護支援専門員研修>を受講して、はじめて業務に就くことができます。


ですので、合格者が減れば、講習受講者は減るわけです。


その穴埋めを、主マネ要件を設けることで行った。
介護支援専門員研修の受講者が減った代わりに、主任介護支援専門員研修の受講者を増やし、帳尻を合わせる。


そう思われても仕方ありません。


なぜなら、今の主任介護支援専門員講習は、管理者スキルを磨くための研修ではないからです。


それゆえ、わたくしは、<現行の制度下では>管理者を主マネに限定することには反対です。


しかし、散々書いてきてなんですが、管理者要件を主任ケアマネにすること自体は別に良いと思うのです。


<管理者と一兵卒では保有資格が異なる>


それだけ見れば、別におかしくありません。


ただ、管理者を主マネに限定したいのであれば、主任ケアマネを「ケアマネであれば誰でも取得できる資格」にすることを前提にするべきだと思っています。


現在のように、5年しばり、常勤専従しばりがありますと、
例えば


・他業界、他職種での管理業務経験がある
・30代~40代前半と伸び盛り
・介護業界に入ってすぐに社会福祉士や介護福祉士を取得
・在宅の他職種(訪問介護や通所介護)で管理者、責任者、相談員経験がある
・5年の最短コースでケアマネジャーを一発合格


というような人でも、5年待たなければ主マネになれません。(主マネ研修を受講できません)


これは事業所にとっても、業界全体にとっても大きな損失です。
そういう才能を、5年も無駄に潰さなければならない。
大きな事業所であれば「リーダー」とか「班長」といった役職には就けるでしょうが、場合によっては、


<管理者より優秀な一兵卒>
<管理者より優秀なリーダー>


がいることになるわけです。
これはお互いにとって辛い。自分より優秀な部下がいるのも辛いし、阿呆な上司がいるのも辛い。
事業所や運営法人としても「適材適所ができていない」ことになります。


ケアマネまで5年、主マネまで5年。というのは、新卒で福祉業界に入ったような人を念頭におけば、あながち間違ってもいない考えかな、とは思います。
23歳で福祉業界に入れば、33歳で管理者。悪くない流れです。


しかし、現実は違う。


ケアマネの多くは30代以上で、既に十分なキャリアを積んだ人たちばかりです。


その人たちに、一体なぜ、更に5年もの歳月を必要とさせるのでしょう。


わたくし、自惚れではなく5年も要りません。1年あれば十分です。
介護業界に、在宅サービスに、その前から5年以上携わっているのですから。


そう、せいぜい1年。1年以上の経験で、主マネを受験させるべきだと思います。
それなら納得できる。


制度設計者に声を大にして問い詰めたいところですが、
こういったことを提言できない「上」の連中にはほとほとうんざりしています。


こんなことでは、他業種から「第二のキャリア」として転職してくる人は現れないでしょう。
だって、キャリアアップにならないんですから。


ただでさえ給料が低いのに、どんなにキャリアがあっても一兵卒からやり直し、才能云々にかかわらず10年待て、ではアホらしくてやってられません。





太平洋戦争の敗因の一つに、軍の「年功序列」があったのではないか、との指摘があると聞いています。


日本軍は学歴と年功で階級が決まるので、上に行くほどバカが増える。
アメリカ軍は能力に階級が付与されるので、上に行くほど優秀になる。


現場を知らない大卒のキャリアが将校の座を占めて、組織防衛に命をかければ、どんな戦争にも負けるでしょう。
どれだけ兵士が勇猛でも、士官が有能でも、作戦自体がドあほうなら、最初から勝負は見えています。





介護保険制度はどうなのでしょう。





厚労省のお役人は?
業界団体のお歴々は?




我が事業所が「玉砕」する日は、介護保険制度が「焦土と化す」日は、もうそう遠くない未来なのかもしれません。

認定調査でよくある勘違い

今日の内容は認定調査です。


・認定調査の基本調査項目は、一般の感覚とズレがある
・強い痛みや重い病気があったとしても、要介護度が高くなるとは限らない


について、書いてみたいと思います。


要介護認定は、


・認定調査員による基本調査と主治医の意見書に基づく1次判定


と、


・認定調査の特記事項と主治医意見書を基にした「介護認定審査会」による2次判定


という、2段階を経て行われます。


1次判定はコンピューター審査で、慣れている人は調査結果を見ればある程度の要介護度を予測することができます。インターネット上にもシミュレーターが公開されており、基本調査結果を入力すると予測が表示されたりします。


今回お話するのは、この「基本調査結果」の部分です。


いわゆる認定調査の基本部分となる箇所ですが、これについては、内容を知らないと「ちょっとずれてるのでは?」「こんなので正確に介護の手間を判定できるのか?」という疑問が生じるかもしれません。


全部を挙げるとキリがないので興味ある方は「認定調査 項目」で検索していただくとして、


例えば「1-7歩行」という項目があるのですが、これはなんと、5メートル程度歩ければ「できる」になってしまうという、一般の感覚からすると「え~~???」と思われる結果になりやすい項目かもしれません。


こんなに歩けないのに~~~~!!!
もう全然歩けなくなって!!!


と、フツーの人が言う場合、おそらくその感覚は、


「今までのように」<長い距離を>歩けなくなった。
「今までのように」<速く>歩けなくなった。
「今までのように」<ふらつかずに>歩けなくなった。


というもので、それゆえに、


<今までのように歩けなくなったのだから、要介護になるはず>


という感覚になってしまうのも分かる気がいたします。


が、しかし。認定調査では5メートル歩ければよいので、多少のふらつきがあっても部屋の端から端まで杖を使わずに歩けてしまいますと、「1-7 歩行」は「つかまらないでできる」。つまり、<自立>と判断されてしまいます。


「1-1 麻痺」や「1-2 拘縮」についても、「痛くて上がらないのよ~~~」「肩が上がらなくて高いところに手が届かないのよ~~~」という嘆きを聞くことが多々ありますが、


認定調査では<90度上がればよい>ので、肩まで上がると麻痺や可動制限は「ない」になってしまいます。


また、よく聞く嘆きとして、「こんなに病気がたくさんあるのに、どうして要支援なのよ~~~~」というものがありますが、


認定調査の基本調査項目には病気の欄がありませんので、病気がいくらたくさんあろうとも、認定調査自体に関しては全く影響いたしません。


認定調査で重要なのは、<病気の結果、何ができないか>であって、どんな病気を持っているか、は正直なところ関係ないわけです。


パーキンソン病なら歩行が難しいかな~とか、がん末期なら起き上がりはどうかな~とか、脳梗塞なら麻痺があるかな~とか、病名を見れば思わなくはありませんが、認定調査の際には、むしろ先入観を捨てて現状を把握することが認定調査員には求められます。


要支援の方ですと、かかっていない科はない!というくらい、内科、眼科、耳鼻科、皮膚科、整形外科、歯科と、日々病院巡りをしている方もいらっしゃいますが、


それで日常生活に支障がなければ、認定調査には影響しないわけです。


と、書くと、「支障あるわよ!」「病院めぐりばっかりで家のことができないのよ!」「あちこち痛くてつらいのよ!」「夜眠れないから、昼寝ばっかりしちゃうのよ!」等々、あれこれ言われてしまい、


挙句の果ては殺し文句として、



「あの人が要介護なのに、どうしてわたしが要支援なのよ!!!」



が、飛び出すわけですが、


でもね~


って感じで、まあ、それだけ喋れれば元気ということで、となってしまうわけです。


そんなわけで、



・認定調査の基本調査項目は、一般の感覚とズレがある
・強い痛みや重い病気があったとしても、要介護度が高くなるとは限らない



わけですが、よくある勘違いと言いますか、あらぬ批判といたしまして、



・要介護が出ないのはケアマネが悪い
・主治医に頼めば要介護が出る



というものがあります。


が、しかし、これまで書いてきましたように、病気の重さや痛みの程度と要介護度はイコールではなく、直ちに結びつくとは限りませんので、


主治医がいくら「この病気なら要介護が出るよ」と言ったところで、認定調査の基本調査項目で自立度が高い結果となっていれば、望むような要介護度は出ないことになります。


1次判定、2次判定で主治医の意見書は基礎になりますので、影響力はもちろんあるのですが、例えば認定調査の結果が要支援1なのに、主治医の意見書があるから要介護3になる、ということは、まずあり得ないと思われます。


思われます、というのは、政治力が働かないともいえないので、というわけですが…。まあ、どこの世界にも抜け道というものは…。いやいや、ごにょごにょ。



そんなわけで、ケアマネに頼んでも主治医に頼んでも、状態に比して要介護度が重く出ることは通常ないのですが、


上でも書きましたように、「通常」なのであって、認定調査の結果と主治医の意見書の双方をいじることができるならば、まあ、その、なんといいますか、そういう結果を出すことが不可能かといわれると、そういうわけでもないわけです。


つまり、何が言いたいかと申しますと、包むなら医者だけでなく…え?いや、わたくしは何も。え?ちょっと署まで来てほしい?いや、まだ、うちは何も…